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ヒストリーチャンネル「硫黄島からの手紙」特別番組
 12月に入りました。
 とうとう寺社関係の人が否応なしに疾走せねばならない月になりました(笑)。

 さて、ボクのポータルチャンネル・ヒストリーチャンネルでは9日より公開される映画「硫黄島からの手紙」の連動企画の放送がされています。
 本当に硫黄島の戦いが話題なのかどうかいまいち解かりませんが、いかにもヒストリーチャンネルが後援したくなるのはなんとなしに解かる気がします。
 本屋を巡ってみても硫黄島関連の本が多少なりとも出てますし、何気に読んでしまったりもしているのですが。
 ヒストリーチャンネル名物と言っても過言ではない「鎮魂・硫黄島」も何度か見ていますが、その冒頭で「硫黄島では学徒出陣によって召集された学生が下士官として戦った」という説明がありますが、結構士官学校出身者や現役の士官がいたりと割と弱兵ではなく精鋭だったのではないかとする話もあるようですが、どうせなら弱兵でここまで敢闘したという方が真実はどうあれ美談としてはよいのではないかと。

 話は変わりますが、硫黄島にはこういうと何ですが結構面白い人が集まっていたようですね(バチ当たり)。


 栗林中将にしても陸軍としては珍しく「バンザイ突撃禁止っ!」という非常に合理的なというよりも非常に現実的な選択ができた人だったのでしょう。
 それもやっぱり海外留学・駐在経験にて世界における日本の立ち場みたいなものを肌で感じ取れたからなのではないでしょうか。
 多分全員突撃とかで一気に玉砕した方が兵士としてもよかったのかもしれません。むしろ戦時訓などで推奨されていたわけですし。
 それを禁止してひたすら持久戦に徹するのは肉体よりも精神的にかなり苦しかったでしょう。なにしろ楽に死なせてもらえないのですから。
 突撃でいたずらに戦力を消耗しなかったおかげで36日に渡って頑強に抵抗し、アメリカは太平洋戦争史上最大の被害をこうむったわけですからこの考え方は間違っていなかったというべきでしょう。
 突撃は最後の最後、もう本当にダメだというときまで行わなかったわけです(=決別電報の日の後)。

 一方海軍の海軍航空戦隊司令官の市丸利之助少将にしても硫黄島戦以前に航空戦力はほぼゼロに近い状況だったわけですが敢えて陸戦指揮を行い、最後の突撃の際に士官クラスに手紙携えさせてその中でルーズベルトに説教を(ルーズベルトに与フル書で)たれたりしています。
 これがまたなかなか辛らつな事が書いてあったりして、白人の有色人種に対する偏見やらドイツがどうしてヒトラーを生む事になったのか(第一次大戦の敗戦国に対する過酷な処分)、さらには独裁者ヒトラーと同じ穴の狢ともいうべきのスターリンとどうして同盟を結んでいるのか、等この当時としては素晴らしく冷静な分析をしているのではないでしょうか。
 
 まあその他西竹一中佐(バロン西)なんていうこれまた面白い経歴を持つ人もいたんですがそれはまたの機会に。

 ともかく「硫黄島からの手紙」何気に見たくなってきました。
| ヲタク::歴史 | 11:59 PM | comments (x) | trackback (x) |
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